🔰自動車メーカー紹介第8弾!!

目次

はじめに

フォルクスワーゲンとは

 

 

皆さんこんにちは!!マイプラです!!

今回は自動車メーカー紹介第8弾となります!!
是非、最後までお楽しみ頂ければと思います!!

 

はじめに

本日もしっかり自動車メーカーの紹介をしていきたいと思います!!

今回は、フォルクスワーゲンです!!!!

フォルクスワーゲンはフォルクスワーゲングループに属する自動車メーカーです。

ちなみに親会社のフォルクスワーゲングループはドイツに
本拠地を置く多国籍自動車製造企業になります。2016~2019年に、
販売台数でトヨタを抜いて世界最大の自動車メーカーになり、
ヨーロッパでは20年以上にわたり最大の市場シェアを維持している
超巨大企業なんです。ちなみに参加企業を紹介すると、、、、、

・フォルクスワーゲン

・アウディ

・ベントレー

・ブガッティ

・ジェッタ

・クプラ

・ランボルギーニ

・RUF

・ポルシェ

・セアト

シュコダ

親会社が強すぎて恐ろしいですよね(笑)ということで、
前置きがあがくなって申し訳ありませんが、早速歴史からお話して参ります。

 

 

                 ロゴ

フォルクスワーゲンの歴史 (実は国策企業が始まりだった!?)

フォルクスワーゲンの誕生は、第二次世界大戦前まで遡ります。
アドルフ・ヒトラーによるドイツ・ナチス政権時代の
1937年、国民車を生産するという目的で国営企業「ドイツ国民車準備会社」が
設立されました。「フォルクスワーゲン(Volks-Wagen)」とは
元々ドイツ語で「国民車」を意味しています。
現在は売上高20兆円を越す世界を股にかける超大企業となっていますが、
創業時はまさに「国民の車」を造るために生まれた国策企業でした。
そしてこの国民車こそが初代タイプ1(通称ビートル)であり、
開発は後にポルシェ社を創業するフェルディナント・ポルシェ博士が
任命されました。時速100キロの速度で大人3人と子供2人が乗車可能なこと、
空冷エンジンを採用し7リッターの燃料で100kmの
走行(1リッターあたりの燃費が14.3㎞以上)が可能なこと、
価格は1千000ドイツマルク以下であることなどの厳しい条件をクリアするため、
プロトタイプをもとに市販に向けた改良が行われていた1939年、
第二次世界大戦が勃発。国民車として完成する前に、キューベルワーゲンに代表される軍用車両に転用され、世に出ることになりました。

戦後

第二次世界大戦の終結後、甚大な被害を受けた同社ですが、
驚異的な回復をみせ、早くも終戦の年にタイプ1を生産させました。
タイプ1は、空冷水平対向4気筒エンジンを積んだリアエンジン・リアドライブの
2ドア4人乗り。経済性と耐久性で注目を集めましたが、
このクルマの魅力はそれだけではありませんでした。
後に「Customer Comes First=顧客第一主義」
という標語を生みだした、他社にはない、優れたアフターセールス体制を重要戦略の
一つとして掲げたのです。それが多くの人に支持され、アメリカをはじめ世界中に
輸出されるようになり、復興に向けたドイツに貴重な外貨をもたらしました。
また、タイプ1の成功を受けて、フォルクスワーゲンはラインアップを拡大。
1950年に通称「ワーゲンバス」と呼ばれるタイプ2、
1955年にスポーツクーペのカルマンギア、
1961年にセダンタイプのタイプ3、
1968年に4ドア・ワゴンのタイプ4を発表し、多くの人に支持されました。

日本におけるフォルクスワーゲン

フォルクスワーゲンの日本における事業展開は、
ヤナセが最初に販売契約を結び、1953年(昭和28年)から
輸入を開始したことが始まりです。

ビートル「タイプ1」の販売価格は74万円で、
当時は国家公務員の大卒初任給が7650円という時代でしたが、
日本橋で行われた展示会には6000人が来場し、380台の注文が記録されています。

1980年代には直接の子会社であるフォルクスワーゲン株式会社を設立し、
フォルクスワーゲン自ら正規輸入に携わり、現在に至ります。

 

終わりに

フォルクスワーゲンといえば、ビートルやポロ、ゴルフなどの
親しみやすいコンパクトカーやSUVやセダンまで取り揃え、
高級車から大衆車を製造し、
多様なグレード展開をする大企業というイメージ
があります。当時から車社会であった日本にはこういう親しみやすさが当たったのかなとも思います。

長くなってしまいましたが、今回はこの辺で!!

次回もお楽しみに!!ありがとうございました。

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